明石家さんまと日航機事故、ラジオ出演直前の悲劇。

日本航空JAL123便墜落事故

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https://www.jal.co.jp/より引用 ※日本航空JAL123便墜落事故と写真の飛行機は関係ありません。


1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分、東京(羽田)発大阪(伊丹)行JAL定期123便ボーイング747SR-46が群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落した単独機では世界最大の飛行機事故。
当時生まれてない方でもテレビなどでこの事故のことを知ってる方は多いかと思います。
この事故では乗員乗客524名が搭乗していたが墜落によりその内の520名が犠牲となりました。
犠牲者の中には歌手の坂本九さん、阪神タイガース球団社長中埜肇さん、元宝塚歌劇団の北原瑤子さん、ハウス食品社長の浦上郁夫さん、コピーライターの藤島克彦さんら数名の著名人や、甲子園球場で行われていた夏の高校野球を見に1人で搭乗していた小学生なども含まれていました。

そんな事故ですが実はこの事故の起きた便にさんまさんも搭乗する予定だったんです。


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明石家さんまが日航機墜落事故を免れた訳

当時さんまさんは人気生ラジオ番組「MBSヤングタウン」にレギュラー出演しており大阪へ生放送に行く際は以前から日本航空JAL123便を使用しておりました。そして、その事故当日もその123便を使用する予定だったそうです。
が、大阪への移動の前に収録していた「オレたちひょうきん族」が予定よりも早く終了したため123便をキャンセルしてひとつ前のANA35便で大阪に向かったと言われています。

そして、あの事故が起きました。

その日の「MBSヤングタウン」の生放送ではほぼ事故の報道に終始。
途中、ようやく登 場したさんまさんは「遺族のお気持ちを考えると、ちょっとお笑いトークはできませんね。しかも、日航123便は、この「ヤングタウン」に出演するための移動手段として、私もよく利用していたんですよ。今日も123便を利用する予定でした。身体がずっと震えています。もしかしたら、私も死ぬところだったかも しれない」と語り、その後はずっと曲が流されたといいます。

この経験を機にさんまさんは東京―大阪間の移動などは新幹線を利用するようになった。
また、沖縄に飛行機で行かざるをえなくなった時、さんまさんは冷や汗びっしょりだったとか。

日航機墜落事故とさんまの愛娘IMALU

明石家さんまの一人娘IMALU(本名:大竹 いまる

以前からさんまさんはいまるさんの名前の由来を自分の座右の銘きてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと命名したとよくテレビで話していますよね。
この名前は変わった名前だとしてさんまさんはみんなから反対されたが「かっこいいと思ったから」とだから名付けたと言ってます。
が、本当ならばあの事故で亡くなっていたのかもしれない。常に『死』を意識して生きてきたさんまさんだけに、 この「生きてるだけで丸儲け」という言葉にさまざまな思いを詰め「いまる」という名を付けたんではないでしょうか。

彼の座右の銘「生きてるだけで丸儲け」。一見彼にぴったりなポジティブな名言であるように思えますが、その裏には様々な「死」を乗り越えてきた結果、彼が至った境地がその言葉に凝縮されていました。


日航機墜落事故と稲川淳二さん・逸見政孝さん

実は稲川淳二さんと逸見政孝さんもこの事故を免れたんです。

稲川淳二さん

稲川さんは事故当日「稲川淳二のためになる話」という健康番組の収録が東京であり、その後123便で大阪入りする予定だったが、
この撮影に入る前からずっと体調が崩れていて「次の日、朝一番の新幹線で大阪入ろう」ということになり搭乗を回避しています。

またその番組のスタッフの一人で稲川さんの友人でもある美容研究家の和田浩太郎さんはすぐにも別の用事で大阪に向かうために空港へ行き本来乗るはずの便ではない早く大阪に着く123便の席が手に入りこの便に搭乗し帰らぬ人となりました。


逸見政孝さん

逸見さんは夏休み休暇に入り、実家のある大阪へ123便で家族揃って帰省するつもりでありました。だが、「4人なら新幹線のほうが安い」という息子の太郎の助言と妻の晴恵が飛行機が苦手であった事から直前に東海道新幹線へ変更し難を逃れた。



日航機墜落事故と坂本九さん・阪神タイガース球団社長 中埜肇さん

このお二人は123便に搭乗されていました。

坂本九さん

坂本九さんがこの日航機墜落事故に遭い、帰らぬ人となったことをご存知の方も多いかと思います。
そんな坂本九さんは以前から日本航空に対して不信感を抱いており、飛行機による移動の際には全日空の飛行機に乗るようにしていました。しかし、その日は大阪で知人の選挙応援を行う仕事でありチケットは先方が手配をしました。その手配した飛行機がJAL123便でした。が、やはり日本航空を信用していない坂本九さんは直前まで全日空便への変更を希望していたそうですが、希望が叶わずマネージャーと123便に搭乗したそうです。


阪神タイガース球団社長 中埜肇(なかの・はじむ)さん

事故当日、中埜社長は阪神電鉄社長兼球団オーナーの代理で日本民営鉄道協会の会議に出席するために東京に向かい会議終了後、帰阪のため搭乗した飛行機がJAL123便でした。中埜社長の奥様の話によると、当初はさんまさんも搭乗したANA35便で帰阪する予定だったが、何らかの事情によりJAL123便に変更されたという。
この当時阪神タイガースはセ・リーグ首位にいましたが、事故翌日の対巨人戦から6連敗を喫し、一時は首位から陥落しました。が、亡くなった社長のためにみんなで頑張ろう!と、ナイン全員と首脳陣が誓い合った結果が再結束に繋がりがり、21年ぶりの優勝となったそうです。

また、優勝した際のウイニングボールは中埜社長の霊前に手向けられたそうです。自らの手でボールを届けたナインたちは、社長宅で嗚咽をもらしていました。

日航機墜落事故は、阪神にとどまらず他のプロ野球11球団(当時)の関係者にも多大な衝撃をもたらしました。巨人は中埜社長の事故機搭乗が報じられた直後に「うちも他人事ではない。今後の航空機利用は十分に考え直す必要がある」という声明を発表し、他球団も今後の航空機利用に関して検討を迫られることになりました。これによりほとんどの球団はそれまで利用していたJALとの契約を打ち切り航空機移動する際は必ず全日空を利用させるようにしました。また、国内移動は極力航空機ではなく新幹線で移動させるようにさせました。また、航空機移動の場合でも、可能な限り複数の便に分散して移動するようになっています。
事故後、プロ野球球団が航空機を利用する場合には春季・秋季キャンプ地への移動、公式戦期間中での地方遠征の際に三大都市圏から九州、北海道、東北などへ移動するといったように、新幹線や在来線での移動が厳しい場合に限られています。





事故は一般客も例外ではありません。事故当日、滅多に遅延が生じないはずの東京モノレール(当時、京急空港線は羽田空港内まで乗り入れていなかった)が何故か遅れ、JAL123便に乗り遅れて結果的に助かった人もいました。

また、一方で、キャンセル待ちが成功して123便に乗り込み、結果的に命を落とした人もいました。恐らく先ほど紹介した稲川さんの友人の美容研究家の和田浩太郎さんもその内の一人だったのでしょう。



JAL123便に搭乗した人、搭乗しなかった人。
本当にさまざまな人生があります。
遺族の方にとっては『運』の一言では片付けられないと思います。

プロ野球球団のように事故を受けて業界内で再び同じことが起こらないように対策を取る。
これがきっと帰らぬ人となった方々にとっても自分の死は無駄ではなかったと天国で喜んでいてくれるんじゃないでしょうか。